あの信じられない大震災から一年が経ちました。
自分は税務署で確定申告をしている最中に地震が起きて、古い税務署の空調がきしんでいて、外を見れば電柱がしなっていたのを覚えています。
税務署の人が急いでプリントアウトをして「早く外に出て下さい!」と、自分は残るにも関わらず、すぐに避難させてくれたのを覚えています。
(避難したくても個人情報を全てコンピューターに入れているので、入力がしっかり終わらないと逃げられない。「え、これ逃げれないよね?」みたいな感じでみんなが顔を見合わせていて異様な感じだったのを覚えています)
携帯も繋がらないし、帰ってくれば津波の信じられない映像がテレビでやっているし、余震があって外に出ようとしても揺れが大きすぎてまっすぐ歩くことが出来ない。。。あんな体験は初めてでした。
自分はこの一年、被災地に行くことはしませんでした。募金や実際に被災地で活動する人の宣伝活動の手伝いなどは積極的にしてきましたが、自分で実際に被災地に足を運ぶことはしなかった。
もちろんスケジュール的なこともあるのですが、正直どう向き合って良いのかわからなかったのだと思います。
もちろんクリニックなどで呼ばれていたら絶対に行っていたでしょうし、ボランティアに行くこともかなり考えはしました。
でも、自分が行くことがプラスになるのか、それとも残って目の前の仕事を一つ一つしっかりこなすことが大事なのか。
いくらでも仕事がある(創ることが出来る)代表のことを一つ一つしっかりこなして成績を残すことの方が一ボランティアとして被災地に行って活動するよりも大事な気もしたし、貢献出来る気もしました。でも、自分が被災地に行って何をするのか、何が出来るのか、全くわからないで混乱していたのも事実です。代表が終わってからも正直どうして良いのかわからず、募金やら、募金のよびかけやらをするに留まっていました。今でもよくわからないでいます。
911の時も、2001年6月に帰国していた自分は大学のルームメイトやその家族がワールドトレードセンターで働いていたにも関わらず、連絡をするのにすごく時間がかかりました。正直、何と言って良いかわからなかったし、安否確認することすら怖かった。起こったことを受け入れられない自分がいました。「パニック」というのはああいうことなのでしょうか。頭がぼーっとして、夢か映画を見ているのか、現実なのか、全くわからない、ただ呆然として、気づいたら時間が経っている。。。そんな感じだったのを覚えています。後にリクルートでニューヨークを訪れた時に1時間だけあったフリータイムはタクシーでグラウンドゼロに行って、ただひたすらぼーっとしていたのを覚えています。祈りを捧げた後はただただフェンスの外で呆然と立ち尽くしていました。
実際に行動することが大切な気もする一方で、結局1日やそこらで戻ってきて、普通の生活に戻る自分を想像するとどこか偽善的な気もして、踏み出せない自分がいた気がします。(実際にボランティアに行っていた方を偽善と呼んでいる訳ではなく、ただ自分はむしろ性格的に、「行く」なら「ライフワークにする」くらいな覚悟で行かないと、本当の意味で「共感」とかできないんじゃないか、なら失礼なんじゃないか、でも少しでも役に立つことの方が大事なんじゃないか、イメージじゃなく、本当の生の姿を観てくることが一番なんじゃないか、そんな葛藤の中でただ時間だけが経って行った感じです。。。)
「復興」と言っても、まだまだ原発の問題も解決にはほど遠いし、むしろこれからもっともっと問題が顕在化してきそうなことを考えると、遠い道のりですが、だからこそ、日本人として何か出来ることを考えていかなくてはいけない。
普段当たり前だと思っていたことへの感謝を思い出させてくれたり、日本人の強さや良さを思い出させてくれたりもした一方、今も苦しんだり、悲しみにくれている人たちがいる。
自分が何が出来るのか、何をすべきなのか。それはいつどうゆう形ですべきなのか。
「べき」というのもおかしい気がするし、自然に動いているのが本来の姿なのか、だとすると自分は非情な人間なのか。
答えはわからないけど、また当分考えて行かなきゃいけないことなのだと思います。
こういうことって「答え」ってなくて、生き方や考え方と一緒で人それぞれなのだと思いますが。。。
自分には祈ること、募金をすること、そして、この件で自分の出来ること、したいことを追い求めていくこと。
それしか出来ないでいますが、でも絶対にこの日を忘れない自分でいたい。
I will never forget 311…
May the victims rest in peace, and their family live their lives to their fullest…