ストリート・バスケット ~その2:「均質な平等」と「競争のある平等」~ 

前回の「ストリート・バスケット」の続編です。今回は「平等」の定義について。

勝者チームがいつも残れるアメリカのストリート・バスケット。だから毎試合結構みんな本気でやっています。喧嘩もしょっちゅう(笑)。個人的にはそういう大人気ない戦い、好きでしたが。

DSC00811家の近くのリング。気に入ったので再度投稿!


勝敗関係無しに、みんなで順番にプレイできると「平等感」はありますが、「競争」は生まれないですよね。共産主義の国々で労働意欲を高めることが難しいと言われているのと同じなんでしょうか?「均質な平等性」では、「勝ちたい」という気持ちは確かに生まれないのかも知れませんね。

帰国してコーチになってから気付いたことがあります。それはこういうストリート・バスケットや「ピックアップゲーム」(寄せ集めでバスケットをすることをこう呼びます)をやっていると、どうしてもチーム内に日本で言う、「経験者」と「素人」というような技術の差が出てきます。

でも、アメリカだとこの「素人」がゲームを良くわかっている気がしました。チームが勝つために上手い人にスクリーンをかけたり、ルーズボールを必死で追ったり、ディフェンスで本当に死に物狂いで守っていたり、とチームが勝つために自分が出来ることを必死に考えるんですね。自分のせいで負けたとなると、次の順番が回ってくるまで自分もチームメイトもかなり待たなければいけないし(一度に5人ずつしか変われないので、混んでいる時は4試合も5試合も待たなくてはいけません)、プライドにも触るからなのでしょうか。

「スクリーンをかけに行け」とかコーチからの指示ではなくて、自分で自分の実力を察知して、チームのために出来ることを考えたりする力って、こういう所から自然に育てられてくるのかなあ、とか考えたことがあります。

サッカーのオシム監督やバスケットの外国人コーチが「日本の選手はテクニックとスピートはあるが自分で考える力や想像する力が足りない」とか、言うのはこういう所もあるのでしょうか?

ということは、やっぱり前回紹介したストリート・バスケット・ルール、全国で広めた方が良くないですか?

この記事を書いた人

東頭 俊典

東頭 俊典

バスケットボールコーチ。 北海道出身。
現在はアースフレンズ東京Zヘッドコーチ