不謹慎

みなさん、こんにちは。

いつもありがとうございます。

こんな中でもブログの閲覧数が落ちない。。。

こんな時だから何を書いてよいのか、本当に良くわからないんですが。。。

でも自分に出来ること以外は出来ないので、自分の出来ること、今自分が正しい、と思うことを素直に書くしかないのかなあ、と思います。

最近、「不謹慎」という言葉を良く聞きます。

「災害で苦しんでいる人がいるのに、またみんな節電をするべきなのに、夜飲みまわっているのは自己中心的で不謹慎だ」

「スポーツのイベントをやるなんて、命がけでまだ家族にも会えていない人もいる中で不謹慎だし、来場者の安全、また節電も考えていない」

などなど。。。

今、被災地で起こっている現実を考えれば、また都内の電気不足、物資不足を考えれば、本当にそうかも知れないです。飲み歩いていたり、むやみに人を集めて、電力を消費したり、会場までの交通の便を含めて安全を保証出来ないイベントを開くのは、ちょっと考えるべきだと思います。

そういう心って大切だと思う。優しさの裏返しだと思う。

でも。。。

一方でこんな時だからこそ、”止まらない”ことも大切だとも思う。

遠く福岡の飲食店まで、この”自粛の波”は訪れているそうです。

夜の会合などが軒並みキャンセルで、大打撃を受けている。。。

経済が止まると、”復興”は出来ない。普通に生活出来る人は生活をしていかなくては、景気が落ちてしまって復興になおさら時間がかかるかも知れない。

頭の固い自分は、いつもいつも「白・黒」、「正・悪」、「0か100」みたいに、「どちらかに決める」ってなりがちなんですが、でもやっぱり「バランス」って大切だと思う。

「飲んだら不謹慎」「スポーツは不謹慎」っていう単純な問題では無く、もっともっといろいろな要素が絡んで来る。

最初に話したような形なら「不謹慎」でも何でも無いと思います。

でも、それが「誰か苦しんでいるから、自分達も苦しまなきゃいけない。快楽は悪。」ってなってしまったら、世界中の人が同じ水準で暮らせる日が来るまで、その生活を続ける必要があるし、ちょっと違う気もします。

「スポーツで人を元気に!」「止まるよりも行動を!」「経済を活性化しよう!」というのも賛成。

でも、節電が求められる地域で夜中まで飲み歩いている必要もないと思うし、時期尚早でスポーツイベントを無理やりにお金や電力を使って開催するのも、ちょっと違うと思う。

いつもながら、当たり前のことなんですけど、でもこんな時だからこそ、当たり前のことから、一つ一つの現象を考えていきたい。

同じ人が世界中に存在しないように、同じ状況も存在しない。

だから、答えってその状況の数だけあると思うんです。

「スポーツだから」「飲み会だから」、そういうことではなく、もっともっといろいろな要素が絡み合っているはずだから、良識を持ってその都度判断していくのって大切だと思う。

twitterとか見ていると、結構議論が白熱していたので、ちょっと考えてみました。