みなさん、こんにちは。
すっかり更新滞っています。コメントや質問も観ていますが、ちょっと応え切れていません。
申し訳ありません。シーズン中なのでご理解下さい。
さて12月2日に悲報が流れました。
セントルイス大学でコーチをしていた(厳密に言えば今季は病院で静養中だったようですが)リック・マジェラスコーチが亡くなられたというニュースです。
マジェラスコーチはユタ大学を強豪大学に押上げ(確か10数年で10回のカンファレンス優勝)1998年にはなんとマイナーなカンファレンスから一挙にNCAAトーナメントの決勝まで駒を進めました。
「智将」として称えられ、「バスケットボールの歩く百科事典」とか呼ばれていました。
自分が留学していた時にちょうどユタ大学の活躍を観てすっかり虜になったものでした。
日本にも少なからず影響のあるコーチで、大和証券でヘッドコーチをされた後、三菱電機でアドバイザーなどしていたケン・シールズコーチの親友ということでケンさんが日本に来た時はいつも「リックがこれを教えてくれた」、「リックはピック&ロールをこうやって守っているんだ」といつもマジェラスコーチの名前が出ていたのを思い出します。今夏、インターハイで全国優勝通算50勝を成し遂げた桜花学園の井上先生のインタビューにも「影響を受けた指導者」の中にケンさんの名前があったので、そういった意味ではマジェラスコーチの知識が間接的とはいえ、日本にも色濃く入って来ていた、と言えると思います。
自分はケンさんの計らいで2003年、マジェラスコーチがユタ大のヘッドコーチだった最後の年にユタ大学にコーチ留学をさせてもらいました。
実際に直接お話させて頂いたのはわずかな時間でしたが、アシスタントコーチとつきっきりで時間を過ごさせてもらったり、チームミーティングやコーチミーティングに参加させてもらう特別の許可を(許可というより、「怒られたら即出て行ってね。機嫌と気づかれるか次第だから。」とかアシスタントコーチ陣に言われてただ居座っただけとも言えますが。。。(笑))頂き、今でも忘れられない勉強をさせてもらいました。今の自分の基礎は間違いなくあの時間に形づくられたと思っています。
マジェラスコーチから学んだことはシンプルに「コーチとはどれだけ仕事をしなければならないか」ということ。
その年、セントジョセフ大学、バージニアカモンウエルス大学、デューク大学、UCLA、CSLA、他LAの名門高校などにも練習見学などさせてもらいましたが、デューク大学とユタ大学だけ、アシスタントコーチの仕事量がずば抜けていたんです。(もちろんシーズン中の時期などによっても変わってくるのはわかっているのですが、それを考慮してもこの2校は群を抜いていた。。。)セントジョセフ大学はその年ジャミア・ネルソンを擁してNCAAトーナメントでも躍進しましたし、UCLAはベン・ホランドコーチの一年目でしたが、翌年から大躍進を遂げる前の年でした。それでも、こういった大学に比べこの二校のスタッフはとにかくめちゃくちゃに働いていた。
スカウティングやワークアウト、選手がクラスに行っているかのチェックやリクルートトリップの準備などだけではなく、選手が病気になればホテルの部屋を取ってつきっきりで看病をする(もちろんスカウティング等の仕事の傍ら)、とか急な雑用も当たり前のように飛び込んでくる。ワークアウトは選手よりもハイテンション、スカウティングは相手チームの選手の立ち位置を観ただけでプレイを全部言い当てることが出来るレベルまでアシスタントコーチ全員が相手チームを熟知している。(試合の時などもコーチ3人立ち上がってひたすら”担当”の選手に守り方を毎ポゼッション指示していました。「次はダウンスクリーン、その後、フレアスクリーンが右からだ〜〜!!!!こうこうこう守れ〜〜〜〜!!!」
あれは対戦相手は嫌だな、と。日立時代によく真似していたのを思い出します。代表中もスカウティング担当だったのでそういう感じでした。相手チームがハーフタイムなどにプレイコールを変えてきたりすることもあるくらいにこちらが相手の全てのプレイを熟知している、というのを知らしめる。結構ベンチから叫ぶだけでリズム崩せるのだと勉強になりました。相手が「反応型」だとこっちが「プレイを知っている」というだけで明らかに嫌悪感を示し出すんですね。そのプレイの狙い所とは本来違う所にパスをしたり、プレイのコールをするタイミングをずらしたり。。。それでかえって意思疎通が取れなかったり。。。そういったことが積み重なってリズムがずれることって結構あるんです。
なんだかいろいろな意味で「コーチング」ってこんなに大変なんだ、こうやってやるんだ、と思い知らされたと同時に「こんなに深いんだ」と教えてもらった人がマジェラスコーチ(の下で働くアシスタントコーチ陣)だった気がしますし、今でも一番影響を受けたコーチ経験の一つです。毎日毎日ひたすらノートを取ってビデオを観て、ワークアウトを観て、練習を観て、復習をして質問をして。。。どこからも誘いも無いのに仕事も辞めて全財産かけて雪深いユタまで1人で行って毎日ひたすら勉強。今振り返っても一番純粋に「コーチング」を学んでいた時間だったのではないかと思います。幸せだった。。。(今不幸って訳ではないんですが’(笑)あれだけ純粋にただひたすら何かを「学ぶ」とか「打ち込む」ってなかなか出来ないな、と。まるで大学で授業を受けているような感じです。仕事も何も心配せずただひたすらに好きなことを学ぶ。。。)
大学時代から著書を何度も読み返し、たまに東海岸でもテレビでやるユタ大学の試合を何年にも渡って全て録画してそれこそ何度も何度も見返してひたすら憧れていたコーチだったので、本当にその人のチームで学ぶことが出来て純粋に嬉しくて嬉しくて。。。
そのシーズン途中で心臓疾患でチームを離れることになってユタ大学も離れてしまいましたし、自分が滞在中も話をしていてもすぐにどもるし、かなり息苦しそうでしたが、セントルイスでも立派にチームを強豪チームへと導かれていて、やはりさすがだな、とひそかに応援していました。
いろいろユニークな所はあったようですし、元プレイヤーなどからも数々の伝説は聴いたことがありますが、それでもやっぱりバスケットボールにあれだけ真摯にまっすぐ取り組んだ人は少ないのではないかと思います。感謝してもしきれない。本当に一生忘れられない良い勉強をさせてもらいました。
「コーチにとってのHARD WORK」ってどんなものかってこと。
あとはプレイヤーとして実績の無い者がコーチとしてどれだけ頑張らなければならないか、ということ。
これからもあの時学んだ仕事量を標準にしていかなければ、世界のコーチのレベルには絶対に追いつけない。
今回の悲報を聴いて、やっぱり初心を忘れず、あの頃観たアシスタントコーチ陣のように頑張らねば。。。と心を新たにさせてくれた出来事でした。
Thank you for teaching me the value and joy of “HARD WORK.”
May You Rest In Peace, Coach Majerus.