Phil Jackson: 補足

みなさん、こんにちは。

今日はお詫びと訂正と感謝です。

先日の「Phil Jackson: コメントからの続編」にやや間違いがありました。

ライターをされている宮地陽子さん(宮地さんのブログ)がしっかりとした補足を書いて下さいましたので、こちらでご紹介させて頂きます。宮地さんは最近はツイッタ―の方でかなり細かい情報を頻繁に発信されています。ツイッタ―をされている方は是非チェックしてみて下さい。

情報の間違いに関しては大変失礼致しました。情報は気をつけて取り扱わなくてはなりません。今後、また気をつけて行きたいと思います。

宮地さん、本当にありがとうございました。

いつも記事で勉強させて頂いています。代々木で譲次と話している時など何度かニアミスがあったのですが、なかなかご挨拶出来ずにいました。わざわざ時間を取って頂いて、補足・修正文を頂き、本当にありがとうございました。

<以下、宮地陽子さんからの補足・修正です>

今回の件、私がシカゴで取材していたときの話ですので、コーチングの話、フィル・ジャクソンのあり方の本質の部分ではないのですが、少し補足させてください。

バルセロナ五輪のときは、クコッチはまだブルズとは契約はしてません。
ブルズがクコッチをドラフトしたのは90年ですが、実際に契約したのはブルズに入る直前のオフ、93年でした。バルセロナ五輪のときは、クコッチのサラリー額が問題だったのではなく、当時ピッペンもジョーダンも嫌っていたクウラスGMがクコッチに執着していて、ドラフト後も早くNBA入りしてほしいと足しげく通っていたため、クラウスに見せ付けるようにバルセロナでの執拗なディフェンスとなったのです。

また、ピッペンの当時の契約は金額が安かったわけではなく、ピッペン自身の希望で最初に一番多額の契約をもらい、年々減っていく式だった(普通は逆です)ので、経験を積めば積むほどまわりより安い額になっていったのでした。

プレイオフでのラストプレイ(ピッペンの1.8秒事件)は、だいたいは書かれている通りなのですが、ピッペンが怒ったのは1.8秒しかなかったにも関わらず、自分がサイドからのスローイン役に任じられたからだそうです(少なくとも、本人はそう言ってます)。つまり、1.8秒でスローイン役ではラストショットのオトリ役にもならない、というのが嫌だったのだそうです(この状況でのスローイン役というのは、とても重要な役割だとは思うのですが、当時の彼はそこまでは思い至らなかったのでしょう)。

そして、ピッペンはその場を立ち去ってロッカールームに戻ったのではなく、タイムアウトが終わってもベンチを立とうとしなかったのでその場でジャクソンがすぐにピッペンを交代させ、かわりに入れたピート・メイヤーズがうまくスローインして(この状況で、すばやく対処方法や人選をできるのは、さすがジャクソンです)、クコッチがシュートを決めてブルズが勝利。ピッペンはまわりから見たら普通にチームメイトといっしょにロッカルームに下がっていきました。

実は、このやり取りがあまりに自然というか、状況ほどパニックもしていなかったので、記者たちも(私も含めて)試合後になるまで、このことに気づいていなかったほどでした。

ちなみに、ロッカールームに戻ってからはジャクソン自らが色々言うまでもなく、キャプテンの一人だったビル・カートライトがピッペンに涙の訴えをしたのだそうで、ピッペンもさすがに反省し、チームに謝って一件落着、という顛末でした。

この記事を書いた人

東頭 俊典

東頭 俊典

バスケットボールコーチ。 北海道出身。
現在はアースフレンズ東京Zヘッドコーチ