Coaching Philosophy⑤

みなさん、こんにちは。

久しぶりのシリーズ物です。

今回は第5弾。

そんなこんなでもやもやしながら数年過ごして、出会ったのが「戦術的ピリオダイゼーション理論」でした。

サッカーのモウリーニョ監督が有名ですが(それも今は使っていない、と誰かが言っていた気はしますが。。。)、もともとはポルトガルで30年以上も前に生まれた理論で、「サッカー(の練習)は、”カオス”であり、”フラクタル”である」という定義にのっとっています。

どういうことかというと、一般的に分習法やドリルと呼ばれる練習は、試合の状況を細分化し、状況別に練習方法を考案します。

バスケットだったら、5対5を4対4、3対3、2対2、1対1と落としたり、1対0、2対1などにして個別に取り出して練習をしていく作業ですね。

でも、戦術的ピリオダイゼーション理論で考えると、いくら2対1、という状況をドリルで再現しようとしても、試合の時に起こる”カオス”状況までは再現出来ない、と。

例えば2対1でグラウンドの整備が悪くて石でイレギュラーなバウンドが起こるかも知れないし、両親が来ていて、「いけ〜!!!」という声を聞いて、子供(=選手)が縮こまってしまうかも知れない。そういった”カオス”を分習法やドリルでは再現出来ない、と。バスケットでも同じようなことが言えますよね。体育館のカーテンから漏れる太陽の光に一瞬目をくらまされたとか、ボールの空気が入ってなかったり、ボールがズルズルだったり、そんな感じでしょうか?

一方、”フラクタル”というのは、リアス式海岸のように何キロ単位で切り取ろうが、リアス式海岸はリアス式海岸の特徴を残す、つまり「一片=フラクタル」である、と。

つまりサッカーの練習なら、それはサッカーという競技の特性を全ての練習で持っているべきだと。

自分が読んだ本で具体例として書かれていたのは、例えばサッカーで1対1のボール保持の練習をするとします。

通常のドリルであれば、人と人がぶつからないように(”カオス”ではない)して、どちらかが取るまでとか、何秒キープできたら「勝ち」としますよね。

こうすると、サッカーという競技の特性である、ボール保持が変わると攻防がすぐ切り替わるなどは含まれていません(”フラクタル”ではない)。

ですから、1対1のボール保持の練習をするなら、例えばバスケットのハーフコートに10組20人を入れ、1対1のボール保持をさせる。周りのプレイヤーがどう動くかわからないし、例えば隣の人の技術が未熟でぶつかってきたり、ボールが転がってきたりもする可能性があります。(=”カオス”である)

またボール保持が変わったら、今度はコート外にいるコーチにパスをして、リターンを受けてそのまま攻守が変わるというルールで練習をする。こうすれば、ディフェンスでボールを奪ったらすぐに誰かにつなぎ、リターンをもらって攻撃に転ずるというサッカーの特性もカバーしています(=”フラクタル”である)し、なおかつコーチが他の選手のボールを処理している間は保持して待って、コーチとアイコンタクトを取ったり、名前を呼んでコミュニケーションが取れたらパスをする、というサッカーに必要なスキルも細分化せず練習出来る訳です。

これをいちいち「声を出す練習」、とか「ボールを取った後、スペースを見て仲間を探す練習」とか、「パスを出して空いたスペースに走り込んでリターンをもらう練習」とか分けてやらずに、一つの練習で解決出来る、と。

ちなみにこの時、人数を増やしたり、スペースを縮めたりすることで練習の難易度を上げることを「戦術的負荷を上げる」というそうです。だから「危険」と思うのであれば人数を少なくし、スペースを大きくして、「戦術的負荷を下げ」れば良い、となるわけです。

この理論を初めて知った時、ピックアップゲームなどまさに「カオスであり、フラクタルである」し、以前ここでも紹介したアメリカで行われている”21”というゲーム(ボールを持った人がそれ以外の選手と1対5や1対10をするゲーム)も「カオスであり、フラクタル」だと感じました。

だから、これを持たない日本は練習やドリルそのものも「カオスであり、フラクタルな」一面を持たせれば良いのではないか、と。

(やっぱり続く)

この記事を書いた人

東頭 俊典

東頭 俊典

バスケットボールコーチ。 北海道出身。
現在はアースフレンズ東京Zヘッドコーチ