日本で学んだこと

みなさん、こんにちは。

「アメリカで学んだこと」シリーズでは海外との温度の差や、浪速の根性の話をして来ましたが、じゃあこの質問。

「日本はダメなのか?」

前回書かせてもらった通り、結局良い選手になるためにも、良いコーチになるためにも、最後は頑張り切る情熱があるかないかなのだ、と。

だったら僕が思ったのは他のどこよりも日本のコーチが頑張っているのではないか、と。

このブログの原点でもあるし、「ごあいさつ」でも書かせてもらっているのですが、

ボランティアで教えているコーチがどれだけこの国にいるのか?

一体どこの国の人たちがこれだけボランティアでこれだけ熱心に教えられるのか?

土日を返上して練習するのはもちろん、講習会に行ったり、自ら教えを乞いに行ったり。。。

「教育」っていう観点からみても、どこの国にも恥じない文化が日本にはあると思うんですよね。

でも、「情報」っていう部分では遅れている気がするんです。自分はバスケットボールが大好きだったけれど、デューク大学やユタ大学なんて「天上界」でそれこそ練習なんてイメージすら出来なかったし、NBAだってそう。どんな分析をして、どんなコーチングをしているのか、なんてワイルドな想像を膨らませることしか出来ませんでした。「世界のトップだったら、きっとこーんな細かい所までやっているに違いない!」みたいな。。。

でも実際会ってみたらみんな同じ人間だし、失敗もあれば、同じようなことで苦労もしている。そこをわかるだけでも大きいし、またもちろん技術や戦術だって、アメリカだけでなく、ヨーロッパ、南米、はたまた同じアジアの国々からもたくさん学べることが出来る、と思うんです。逆にそういう情報がより多く入ってくれば、日本のコーチのレベルからするとどんどん吸収出来ると思うし、どんどんレベルが上がると思うんです。ネット環境が向上して、「情報過多になっている」と危惧する声もあります。確かにそう。次回書きますが、海外のドリルをそのまま持ち込んだって日本人には合わないケースが往々にしてある。でも、今回はそういうトピックではなくて、純粋な情報量の話です。ワイルドな想像ではなくて、偏った劣等感から来る偏った思想やアイデアでもなくて(日本は欧米人にかなわないから、欧米人が誰もやってないような突拍子の無いことをやろう、と。。。それもファンダメンタルやバスケットボールの原則を無視して。。。)

日本はそんな偏った劣等感を持つほど、コーチになる「素材」でみると、絶対に他国に遅れをとっていないし、選手だってそう。

熱い選手はたくさんいます。

面白いな、と思ったのが、先日の「温度」の所で、アメリカで1人でシューティングしながらミスをしたら切れて罰走を繰り返す選手がいる、というような話を書きましたが、日本の選手でも、特に代表クラスの選手って、こういう動物的な所が多いと思うんです。負けず嫌い度もやっぱり代表クラスの選手は格段に強い気がするし、合宿中も良い意味で猛々しくて、荒々しくて、「頼もしい」と思えるくらいに感じたことが多々ありました。いきなり練習を観た人は「荒っぽいなあ」とか「礼儀正しく無い」としか感じられないかも知れませんが、試合とか局面での表現の仕方を間違えさえしなければ、個人的には練習ではオーケーな気がします。選手だって、日本人は熱くなれるんです。ウェイトの話をしたけれど、怒号を出す選手も上のレベルに行けば多いし、練習だって良い意味で殺気だっている雰囲気だってある。(1人でシューティングしていて、激切れしている選手にはまだ会ったことは無いですが。。。そういった意味でこないだのブログの内容と矛盾する訳ではないのですが。。。)

ただ、もっともっと熱くなれる選手もいるし、遠慮したり我慢したりしている感じも正直する選手もいます。だからこそ、「ルール設定」を一般社会と変えても良いのではないか、と。もちろん、礼儀や常識を重んじない、ということではなく、人間個々が持っている負けず嫌いな部分や相手を倒したい、という動物性を解放した上で、そのコントロールや表現方法を学ぶ、という順番の方が、最初から「礼儀正しく振る舞いなさい」という指導よりも良いのではないか、と。

アメリカや海外では、あえてこれをやらずとも「スポーツの空間」ってそもそも特別だ、という文化がある。でも日本はやっぱり学校体育で教えらえれて来た影響からか、どうしてもそうしたスポーツの特殊性(=動物性の部分的解放)よりも、感情のコントロールや抑制が最初に来てしまう傾向があると思うんです。

例えば、ちょっと話は変わりますが、よく人に話すのは、「謙遜」っていう言葉の意味は、「自信を奪うこと」ではない、と。

普通、子供が「おれはバスケがうまいし、頭も良い」なんて言っていたら、「お前なんか井の中の蛙だ」って言う人が多いと思うんです。でも「謙遜」ってそういう意味じゃないんじゃないかなあ、と。語源が何なのかは知らないんですが、例えば武士が「おれは井の中の蛙で弱い」って思っていたら、絶対負けますよね?武士で負ける、ということは死に直結しますよね。「謙遜」って、「強いと知っているけれど、あえてそれを口にしない美徳」というか、「人と比べて自分を計らない美徳」というか、そもそもそういう物ではなかったのではないか、と。あくまで私見ですが。。。

「謙遜」という言葉の意味が、、「上手いのも強いのも頭が良いのも事実、でもそれをあえて語らない強さや美しさ」、つまり「絶対の自信がある上で、あえて語ったり、他人の承認や同意を得ない芯(真)の内面的強さや自信」ということであるとすると、「お前は井の中の蛙だ」という指導の仕方は違うのではないのか、と。人より優れているのは知っている。でもそれをあえて言わず行動で示す強さみたいな物。むしろ行動で示したり、他人からの同意がなくとも、そう信じきれる内面的強さや自身の中での平穏な心こそが、「謙遜」という価値観の原点なのではないか、と。

そうであれば、前述のような子供に対する指導の仕方も変わってくるのかなあ、と。

それと同じで、「動物性」を最初からむげに否定して抑え込んでしまうのではなく、その出し方や表現の仕方をきちんと指導することが、大事なのではないかなあ、と。。。

主題とずれてしまいましたが、日本人にだってすごい選手やコーチになれる「素質」とか「素養」は充分にある。コーチだって、選手だって、今よりももっと向上出来る。そのための「温度」とか、「考え方」みたいな物がきっとあるんじゃないかなあ、と。日本でも「一流」とされる人はそうした「温度」や「考え方」を自分自身で見つけたり、行き着いたりしているのではないか、と。特に代表などに関わって、いろいろな人と関わるようになってからはいっそうそう思うようになりました。

我々凡人は自分で行き着けなくても、そうした「温度」や「考え方」の「情報」がもう少し入ってくる環境を作ることが出来れば、良い意味での化学変化が起こるのではないかなあ、と。英語で言う「ロールモデル」があれば変わるのではないか、と。

自分が中学生まで練習中、水を飲んだりしては行けなかったし、体罰だって普通でした。でも、今はそうしたことが許されない。つまり体罰とかで育った我々は同じ手段を使わずに、より精神的に強い人間を育てなければならない。でも、我々の世代でどれだけの人がそうした手段を使う指導者に「育てられた」経験があるのでしょうか?

つまり、我々はそうした方法を「全く知らないし、想像出来ない」可能性だってあるのではないでしょうか?欧米は訴訟社会です。日本よりもむしろそうした面では厳しい。「モンスターペアレンツ」どころか「モンスタースチューデント」ばかりです。しかも屁理屈が多い上に、自己主張が強い(笑)。

そうした人たちを一つにまとめる術を我々日本人が学んだら、日本人の気質から言えば、もっともっと上達するのではないか、と。

そういった面では日本はまだまだまだまだ強くなれるし、やっぱり戦ってみて、もっともっと強くなれる、そう思うんです。

ま、ちょっと極端な意見なのかも知れませんが。。。

まずはもっともっと自分が勉強して進まなくては、ですね。

ということで頑張ります。

この記事を書いた人

東頭 俊典

東頭 俊典

バスケットボールコーチ。 北海道出身。
現在はアースフレンズ東京Zヘッドコーチ