アメリカと日本の違い ~言葉づかい~

みなさん、こんにちは。

いつもコメントありがとうございます。より一層頑張ります。

さて、今回は前回までのRick Majerus Coachに関連して、日米のコーチングの違いについて、少し触れてみたいと思います。

これはほんっとうに深いトピックで、一概に言えない部分も多いので、少しずつ小出しにしていきたいと思うのですが、まずは、コーチの「言葉の使い方」について。

私は個人的に、「Wording」と呼んでいますが、日米どちらのコーチも、優秀なコーチは言葉にこだわりを持っています。言葉の一つ一つに気を配り、より選手のイメージに残りやすいように話をしていきます。明成高校の佐藤久夫先生もかなりいろいろと考えてお話をされている、という話をよく聞きますし、金沢総合の星澤先生も「ホッシー語録」というノートまで作って、いろいろと言葉の研究をされているのだとか。。。

こういった日本のコーチが、抽象的な擬音語や、バスケットボールと関係の無い比喩を好んで用いるのに対して(具体的な例はここで書いてしまって良いのかわからないので、ふせさせて下さい。)、アメリカのコーチはどちらかというと、具体的だったり、ルールだったり、格言みたいな言い回しを好んで使う傾向があるようです。

<無駄なドリブルをついた時>

・「無駄なドリブルをつくな~!」ではなく、「ドリブルを使う時は、①アタックする時、②パスアングルを作る時、③危険を回避する時だ!」

<リバウンド>

・「オフェンスリバウンドに何故いかない?」ではなく、「ショットがあがったら、3人がオフェンスリバウンド、2人がセーフティだ!」

<セットオフェンスの説明>

・「ここにパスがいったら、こう、あそこにいったら、こう。。。。」ではなく、「”コーナー・パス”の時は、バック・スクリーン→オン・ボール・スクリーン。”ボール・リバース”の時は、エルボー・ヒット→2メンゲーム。。。」(共通言語を多く用いて、はっきりと明文化する。その場にいなくても、言葉だけでプレイがイメージできるくらい、「どこで」「何を」「いつ」するかをはっきりと言葉で言い切る。)

はっきりと「定義」をする。愚直で窮屈なくらい「ルール化」する。

外国人コーチの下でプレイしたことのある日本人に聞くと、少し窮屈な感じもするようです。通訳のニュアンスも大きく影響するのだと思うのですが。。。

我々日本人の場合、「オフェンスリバウンドに必ず3人行って、セーフティは2人」がルールと言われると、「レイアップに行ったら、オフェンスリバウンドもセーフティも行けないじゃないか」と言うように、「絶対原則化されると、例外があってはいけない」、という風に感じる所があるのでしょうか?アメリカ人コーチにとってはこのケースでは、レイアップに行っている人も「オフェンスリバウンドに行っている一人」と、自然にみなすようですが、以前、あるチームで話を聞いていて、外国人コーチのこういった指示に対して、日本人の選手やコーチにはそのニュアンスが共有されていなかったケースをみたことがあります。それでちょっと「それっておかしくない?」というような雰囲気になってしまっていたり。。。

逆に日本でプレイする外国人にとっては、「指示がよくわからない」「コーチがバスケットを知らないのではないか?」と疑問になるケースもあるようだ、という話を聞いたことがあります。「定義化」になれてしまっていて、ある程度「定義」してくれないと、チームの方向性がわからず不安に感じるようなんですね。「ショットクロックが何秒になったら、どのように対処する。」「クォーターの終わりは何のプレイで誰が攻める。」とあらかじめ決めておかないと、不安になる。

ちょっとおおげさに言うと、これって、企業で言う「成果主義」とかにも似ている気がします。外資企業だと、「これがノルマで達成できなかったら全員クビ」的な印象ありますよね。ルール至上主義、というか。何でもシステマチックに決められている、というか。。。

でも、アメリカに限っていえば実はそう堅苦しくも無いんですね。(少なくとも私の観て来たアメリカですが。。。)

逆に意外に「頑張り」とか、「泥臭さ」が評価されたりもする国なんです。彼らのノルマやルールは、通常「誰でも意識さえすれば出来る」ことが多く、「チームの一員として徹底すべきこと」、をあえて明文化して共通理解をはかる、というイメージでしょうか。

その代り、「誰でも出来ること」を怠った時は、厳しく対処される、というか。甘く標準が設定されている分、それを達成できなかった(というより、「達成をする努力をしない」が正しい表現だと思います。頑張っても達成できないようなルールは最初から設定されないので)時は厳しい。

そんなイメージでしょうか。

ただ、「共通理解」ということは結構厳しく言われていて、日本人にとっては「そこまで言うか?」というくらい、細かく言葉に落として話すことが多いようです。これは人種の違いや色々な違いがある国家なので、「これが常識」というのは日本以上に言い切ることが難しいこともあるのかな、とも思います。みんながわかっていそうなことでも、絶対に言葉に落として確認を取る。それが「ルール化」となり、我々日本人の感覚からすると、ちょっと窮屈になったりしてしまう。。。

「ルール化」が良いかどうか、またはどこまでルール化するか、ということについてはケースバイケースの所もありますし、ここではあえて取り上げませんが、ただ、「ルール化」に必要なバスケットボールの知識、またはこうやって「整理できること」そのものに対しては、我々は真似をしたり、学んだりできることがあるのではないかな、と。

そんな気がするのです。続きはまた次回。。。