レッド・アワーバック②

さて、前回紹介した1950~60年代にかけてボストン・セルティックスで圧倒的な強さで勝ち続けた名将レッド・アワーバック・コーチ(詳しくは「レッド・アワーバック」をお読みください!)。

傲慢にも見える彼の立ち振舞いからは想像もできないきめ細やかな「気遣いのコーチング」が彼のコーチングスタイルだったようです。

ビル・ラッセルによると、アワーバック・コーチは「誰が正しいとか、誰が偉いとかではなく、チームの一人一人がその能力を最大限出せる方法を探すことしか考えていなかった」というのです。例えば、選手の一人が皆の前でアワーバック・コーチの指示に賛同しなかったとしても、全く問題は無い、というのです。あっさりと変えてしまう。「わかった。その方法で行こう!」もちろん、全てを聞きいれる訳ではありません。ただ、選手の意見を最大限に取り入れる、というスタイルだったようです。セットを入れても、「どう思う?」という質問を忘れない。必ずトップ選手達の意見をしっかり聞いていた、というんですね。

また、それだけではありません。気遣いがすごい。例えば、ビル・ラッセルなどは入団当時はオフェンスの武器とはみなされていなかったようです。ですが、ラッセルがディフェンスやスクリーンなどで活躍を始めるや否や、すぐにオフェンスの要としても活躍させるようにします。「みんなラッセルのおかげで良いショットを打てているんだ。ラッセルにもシュートを打つチャンスを作ってやれ」と、彼専用のセットオフェンスを組み込んだりします。不満が出る前に、先手先手で手を打っていくのです。

ちなみに「シックスマン」というポジションを確立したのもレッド・アワーバック・コーチだと言われています。それまでのシックスマンは、スポットライトの当たらない「補欠の選手」でした。しかし、1950年代、ビル・ラッセル、ボブ・クージー、ビル・シャーマンなどのスター選手を抱えたチームで、フランク・ラムゼイという他のチームに行けばスタートになれる選手がいました。彼がベンチから出てくると、彼がオフェンスの中心になる、という当時では考えられないシステムを確立したのです。このため、ラムゼイのモチベーションも高く、相手チームには補欠選手が入ってきても気が抜けない、というプレッシャーを与え、恐れられていた、と言います。

このように、チームの選手達の心を読んで、不満を貯めさせないリスクマネージメントをするばかりではなく、逆にそれをチームのプラスとなるような方法を常に考案していた、とそういうコーチだったようです。フィル・ジャクソン・コーチや、マイク・シャシェフスキー・コーチなどと、被る部分がすごく多かったです。名将の条件は、やはり人のマネージメントにあるのでしょうか。